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子どもが字を書くのって、学校で終わる?親になってふと思ったこと

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ふと思ったんです。「子どもが字を書くのって、学校の中だけで終わるんじゃないか」って。 キーボードで仕事して、スマホで連絡して、メモもデジタル。気づいたら自分自身、手書きなんて署名くらいになっていました。 これから育つ子どもたちは、もっとそうなるんじゃないか——そんな疑問が頭をぐるぐるしています。


「達筆な人」、最近あまり見かけなくなった気がしませんか

これ、私だけが感じていることじゃないと思うんです。

最近、街中や職場で「きれいな手書き文字」を目にする機会が、ずいぶん減った気がします。かつては、年賀状の宛名や会議の議事録で「この人、字がきれいだな」と思う瞬間がありました。でも今は、そういう場面そのものが消えてきている。

連絡はLINEやメール、記録はスプレッドシート、メモはスマホのメモアプリ。手書きが「必要な場面」自体が、静かに消えていっているんですよね。

「小学校低学年レベルの字しか見なくなった気がする」と話す人もいます。達筆な人が減ったのか、それとも手で書く機会ごと消えたのか。どちらにしても、何かが変わっているのは確かだと感じます。


自分が書けなくなったとき、初めて気づいた

正直に言うと、私自身もそうなんです。

仕事中、手書きでメモを取ろうとして、漢字がパッと出てこないことがあります。「環境」の「境」ってどう書くんだっけ、「継続」の「継」は……と止まってしまう。変換ボタンに頼りきって、手が覚えていないんですよね。

署名くらいしか書く機会がない大人でも、こういう感覚を持っている人は少なくないと思います。そしてふと思うんです。「これから育つ子どもは、もっとこうなるんじゃないか」って。

学校を卒業したら、大人になっても一生ほとんど書かないかもしれない。そう考えると、なんだか不思議な気持ちになりませんか。悪いことだと言いたいわけじゃなく、ただ、「そういう時代が来たんだな」という感慨みたいなものが湧いてくる感じです。


タブレットが当たり前になった教室で、起きていること

現場の話を聞くと、少し複雑な気持ちになります。

小学校の低学年では、「書く速さ」に子ども同士でかなり差がつくそうです。書くのが遅い子に合わせると授業が進みにくくなる。かといって速い子を待たせるわけにもいかない。タブレットが当たり前になって、紙と鉛筆で書く時間そのものが減っているのも背景にあるようです。

学校側も一生懸命考えているのはわかるし、デジタル化は時代の流れでもある。でも、「書く時間が減る」ということは、「書く力を育てる時間が減る」ということでもあります。

一方で、こんな研究もあります。手書きが脳の活性化につながる、という結果です。ノルウェー科学技術大学(NTNU)の研究では、キーボード入力のときには見られず、手書きのときだけ脳が広く活発に働くことが確認されたそうです。便利さを追い求めた先で、「手で書くこと」の価値をあらためて考えさせられる——というのは、なんとも興味深い流れだと思います。

※参考:手書きとタイピングの脳活動を比較したノルウェー科学技術大学の研究(ITmedia報道) https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2412/13/news066.html

デジタルが進めば進むほど、逆に「手書き」が特別なスキルになっていくのかもしれません。


「字が下手でも困らない」は、たぶん本当のことでもある

ここで、あえて反対側の声も紹介したいと思います。

「字が下手でも、社会で困らない時代がもう来ているんじゃないか」という意見も、確かにあります。連絡も記録もデジタルで完結するなら、手書きにこだわりすぎる必要はない、という割り切りです。

これ、間違っていないと思うんです。実際、仕事のほぼすべてがキーボードで回っている今、手書きができないことで実害が出る場面は、確かに減っています。

ただ、「困らない」と「失われていく」は別の話でもある。困らないからこそ、気づかないうちに静かに消えていく——そういうことって、手書きに限らずいろいろありますよね。

どちらが正しいかを決めたいわけじゃないんです。ただ、便利になった分だけ、何かが静かにフェードアウトしていっている。それをちゃんと「見ていたい」という気持ちは、親として持っていてもいいんじゃないかと思っています。


押しつけじゃなく、小さな入り口を作るだけでいい

「じゃあ何かしなきゃいけないの?」と思った方、そんなに身構えなくて大丈夫です。

今すぐ習字教室に通わせようとか、毎日日記を書かせようとか、そういう話ではありません。ただ、ちょっとした場面で「手書き」が自然に出てくる瞬間を作るだけで十分だと思っています。

たとえば、お誕生日カードを手書きにしてみる。買い物メモを紙に書いて子どもに持たせてみる。夕食後に一言だけ絵日記を描いてみる。どれも小さくて、義務でもなんでもないことです。

子どもって、親がやっていることをよく見ています。「字を書く大人」の姿を見せることが、一番自然な入り口になるかもしれません。

親自身が完璧に書ける必要もないし、毎日続けなくてもいい。「たまに手で書く」という習慣が、家の中にそっとある——それだけでも、何かが変わるかもしれないと思っています。


まとめ:便利になった分、静かに消えていくものがある

今回の記事、答えを出したかったわけじゃないんです。

ただ、「子どもが字を書くのって、学校で終わるのかもな」という素朴な疑問から始まって、いろんなことを考えました。デジタル化は止められないし、止める必要もない。でも、手書きという行為には、脳への影響とか、気持ちを伝える温度感とか、キーボードでは代えられないものがあるのも事実です。

便利になった分、静かに消えていくものがある。それを「仕方ない」と流すのか、「せめて入り口だけ残しておこう」と思うのかは、それぞれの家庭のペースでいいと思います。

正解なんてないし、私自身もまだ手探りです。でも、こういうことをたまに考えて、ちょっと立ち止まってみることは、悪くないと思っています。

もし「わかる、同じこと考えてた」と感じてくれた方は、ぜひコメントで教えてください。どんな小さな感想でも、読んでいてとても嬉しいです。

こういった「日常の中の小さな気づき」を、これからも発信していきます。よかったらフォローして、次の記事も一緒に読んでもらえると嬉しいです。


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